カメラマンの手際の良さにより無事午前中で撮影完了。
で、帰りに本屋によって購入したのがこれ。
本エントリーは、この本をまだ読み切ってない状態で書いているので、書評ではない。 あしからず。
この本のまえがきにあったフレーズを読んで、なんとなく感じたことがあったので、書き留めておく。
P5
メディアの不調はそのままわれわれの知性の不調である。ちょっと前に、民主党の代表選があった。
あんまりテレビを見ないので、正確なところはわからないが、小沢氏をバッシングする内容がほとんどだったと思う。
「金権政治の最後の大物」とか「説明責任」とかなんとか。要するに「政治資金問題」などの不正行為の首謀者というイメージからか、とにかくこいつが代表になっていいのか。という論調。
個人的には「菅さんよりはマシ」だし、次の選挙では民主党が負けると思っているので「最後なんだからやってみてもいいんじゃない?」くらいな感じで、どちらかというと「小沢氏を支持」してた。
で、前置きが長くなったが、この本を読みだして、まえがきを読んで思い出したエピソード。
それは、民主党代表選の結果を、会社の部下たちと話した時のこと。
相手は、20代後半の女子2人だったが、何の疑いもなく、「菅氏支持」。
理由を問うと、小沢氏は金と権力にまみれたオヤジ政治家の代表といったイメージで、菅氏のほうがさわやかだ。と。
小沢氏支持の方が、頭がいいとか、物事をよく考えているとか言うつもりは毛頭ない。
なぜなら、テレビを見ない、私が主に接するメディアはインターネットであり、Twitterなどもそれに含まれるため、より自分の好みに偏重しているからだ。
結局、大多数の人は、自分が好む(と好まざるに係わらず)普段からよく接する情報のみで判断し、考える行為を放棄しているように思えてならない気が、ますますしてきた。
こうやって、世論やその結果としての今の世の中が「偏重」の結果だとしたら、それは誰が仕掛けたことなのだろうか。
誰かが意図的に仕掛けたわけでなく、スキャンダラスに演出して、ないものをあるように煽る方が注目を浴びやすい。という行動原理だけがそこにあったように思われ、別に何かを企んでいたわけでもないのだろうと思う。 だとすると、結局は、そういった情報を好む下劣な民族が、今の状態を作り出したに他ならないわけで、誰かが気づいてどうにかするだけでは、やはり無理なんだろうなと。
う~ん。重い。